2014年6月29日日曜日

アンダルシアの旅 番外4レティーロ公園

スペイン最後の日。午後のフライトなのでプラド美術館裏のレティーロ公園へ。120万㎡という広い公園。日曜日ということもあり犬の散歩、ランニング、サックス演奏、カヌーの練習などマドリード市民が思い思いに朝のひと時を過ごしていた。
ホテルへの帰り道、国立ソフィア王妃芸術センターでピカソの「ゲルニカ」を鑑賞しスペイン旅行を締めくくる。

2014年6月28日土曜日

アンダルシアの旅 番外3フラメンコ

スペイン最後の夜はフラメンコ。王宮近くのカフェ・デ・チニータス。ステージのすぐ下の席でワインを飲みながら鑑賞。歌、踊り、ギターに魅了される。特にサパデアートというタップの技はすばらしい。
終演は9時45分。まだ人通りの絶えない夕闇の王宮付近でタクシーを拾いホテルへ帰る。

アンダルシアの旅 番外2マドリード

地方へ延びるスペイン交通の基点(日本橋みたいなもの)プエルタ・デル・ソルからフェリペ三世の像の建つマヨール広場。つまみを食べながらいっぱい飲めるしゃれたサン・ミゲル市場をそぞろ歩き。
ガイドブックでみた「メソン・デル・シャンピニョン」という店を探しシャンピニョン・アル・アヒーリョを食す。肉厚のマッシュルームに生ハムの塩味がマッチ。フラメンコを見るお店を確認し、ドンキホーテの像があるスペイン広場へ。

アンダルシアの旅 番外1トレド

マドリードの南約70km。バスで45分、1500年の歴史を持つトレド。陽ざしよけ布が覆うアーケードをとおりカテドラルへ。サント・トメ教会でグレコの「オルガス伯爵の埋葬」を見る。トレドの名物はアーモンドを練って作る餃子のような形をしたおかしマサパン。適度な甘さでおいしい。近くのバルでビールを飲んで市街を一望できる展望台へ。三方をタホ川の囲まれ要塞都市であったことがわかる。

2014年6月27日金曜日

アンダルシアの旅 12ヘネラリフェ

王宮を出るときれいに整備された花壇をとおり城壁の外へ続く道。1200年前ナスル王朝の貴族が暑い夏を過ごしたアルハンブラ宮殿の離宮ヘネラリフェへ。花や木々、噴水や池がすばらしい。小高い丘の上にあるので、宮殿やグラナダの街が一望出来る。
20:30発のバスでアンダルシアをあとにする。生ハムとチーズ、コップ一杯のサラダ。もちろんワインもOK。4時間半1:00にマドリード着、このプレミアムバス、料金は約4,900円。

アンダルシアの旅11 アルハンブラ宮殿

王立礼拝堂前のバス停からミニバスで20分ほどでアルハンブラ宮殿の入口。あらかじめ入場時間を予約しておかないとダメ。少し離れたところで予約番号でチケットを入手。会話をしているようなイトスギを見ながら入口まで城壁沿いに5分ほど歩く。3時の入場時間までカルロス5世宮殿屋や宮殿を守るアルカサバという要塞を見学。グラナダの街が一望出来る。反対側に目を移すと王の夏の離宮「ヘネラリフェ」が丘の上、林の中に見える。
宮殿内は水面にコマレス宮が写るアラヤネスのパティオ、愛嬌のある”獅子”が円陣を組む獅子のパティオ、幾何学的にデザインされた植木と花が美しいリンダラハのパティオ、その他いくつもの部屋が細やかなアラベスクがレース編みのように壁を埋め尽くしている。

アンダルシアの旅10 わかれ

グラナダでツアー一行と別れるのでホテル前で記念撮影。気のいいおじさんと気前のいいおばさん、ドライブインでは集合写真。グラナダではみんなが手を振ってくれた。思い出に残るバスツアー。王室礼拝堂見学や大聖堂の前でランチ。たくさんの種類の香辛料にびっくりしながらいよいよアルハンブラ宮殿へ。

2014年6月26日木曜日

アンダルシアの旅9 プエルト・バヌースとマルベージャ

子供たちがプールで楽しんでいるホテルで昼食と休憩後コスタ・デ・ソル発祥の地となったアラブの王様や世界中の金持ちの別荘が点在するプエルト・バヌースへ。豪華なヨットが停泊するハーバーを見学。
プエルト・バヌースから50kmほどでマルベージャ。9世紀に造られた城壁の一部や壁に飾られた花、壁いっぱいのブーゲンビリアを見た後、広場の居酒屋のオープンテラスでハーブカクテルを飲んだ。

アンダルシアの旅8 ロンダ

「地中海の日の出」が見れるかもしれないかと朝食前に海岸へ。残念ながら日の出の場所は海岸線ではなく、また 雲も多く日の出は見ることが出来なかった。こんな早くから海岸のゴミを拾っている人に出会った。
海岸線からロンダ山系の奥深い谷間にロンダの街はあった。100m近い高さのが旧市街と新市街を分けている。巨大な岩山の上に乗るように街があり天然の要害であった。小説『カルメン』のドン・ホセが逃げ込んだ街、ヘミングウェイもこの街を舞台にした小説を書いているという。
また騎士が馬上から戦う騎馬闘牛から馬から降りて直接牛と戦う闘牛、ムレータ(赤い布をつけた棒)を牛の前にだし、その突進をかわす現在のスタイルをルール化し様式美を確立したのがこの街のロメロ一族であった。街の闘牛場には博物館があり当時の衣服・写真・道具を見ることが出来た。