2014年11月24日月曜日

高野山3 女人道巡り

高野山は明治の初めまで女性が山内に入ることが禁じられていたため、高野山の各入口に女性のための籠り堂として女人堂が作られ、女性信者はそこで御廟を拝むために峰々をめぐる高野山女人堂をたどったと言われている。現在ただ一つ残されている不動坂口の女人堂を出発。山道に入る。弁天岳からは和歌山の発電所から大阪へつながる高圧線が山々を縫うようにつながっている。信者が寄進した鳥居の繋がる道を下ると昨日の出発点大門へ。
ふたたび山道を登る。振り返ると林の中に大伽藍の朱色の塔が見える。轆轤峠にある大滝口女人堂跡で休憩。ここから女性が首を長くして高野山を見ようとしたことからろくろ(っ首)峠。今は木々が茂り街は見えない。ここから街におりた。「高野山」というお酒を飲みながら帰路につく。

2014年11月23日日曜日

高野山2 高野山町石道

町石道とは高野山の麓から大門、奥の院への参詣道。沿道には一丁(約109m)ごとに建つ道標。平安時代に作られた木製の道標を鎌倉時代 北条時宗の時代に花崗岩で立て直す。一部が昭和35年に再建されたが220基の内179基は当時の物。今回は大門から九度山に向かって歩いた。
スギ林の中町石の数字を確認しながら山を下る。空海が800年前女人禁制のため高野山には入れず麓の九度山に住む母のもとに通った道である。二つ鳥居の先の古峠から上小沢駅へと下った。山の上まで柿畑があり里には干し柿がつるしてあった。山の中腹にへばりついた南海電鉄上小沢駅。里からの急な登り道が堪えた。
夕食はきのこ鍋やゴマ豆腐。

2014年11月22日土曜日

高野山1 奥の院

来年開創1200年を迎える高野山へ。九度山駅に途中下車。関ヶ原で西軍で戦いこの地に配流。1615年の大阪夏の陣で茶臼山で戦死した真田幸村屋敷跡。ケーブルカーで紅葉の中を高野山駅。標高900mに出来た宗教都市に到着。
バスで奥の院まで移動。一ノ橋から御廟までの1.6kmの参道の大杉林は和歌山県の天然記念物。公園墓地には企業の真新しい墓石。杉林内には織田信長、浅野家、豊臣家、明智光秀、石田三成、武田信玄などなど”著名人”の墓が並ぶ。
泊まりは西門院。夕食は精進料理を部屋で。肉がなくても十分満足。食膳の支度、ふとん敷きは修行僧さんがおこなう。